無の作法2009-06-07 Sun 18:12
禅の世界では、無は、
「ある」に対する「ない」ではなく、 有無の二元を超えた絶対の無を指す。 その無とは存在の否定ではなく、 存在しているが、現れていない状態をいう。 となると「ある」と「ない」は別のものではなく、同じもの。。 そう、有無は一如である。 有の方向に重点が置かれ、 無は有に対する相対的概念として捉える西洋的な思想の中で、 今回行われた禅の世界はどのように映ったでしょう。 ![]() ![]() Hammomd Museum&Japanese Stroll Gardenにて、 表千家、裏千家、武者小路千家という流派を越え、 "Zen&Tea"をテーマにお茶会が催されました。 その中で私の師が"Tea without tea"というPresentationをされたのですが、 それは、お道具もお茶もないお点前なのです。 何もない中で繰り広げられる作法はまるで瞑想のようでした。 物はない。 型がある。 だから作法の中で精神の自由が生まれる。 時が止まったような、不思議な時間の中で、 無い道具が有り、無い湯煙が有り、 無いお茶が愛でられ、無い音が有り、 主客が一体となった空間が有りました。 「ない」静寂な一瞬一瞬の中に、 すべての「ある」が含まれている宇宙の充実を観ました。 お天気に恵まれた週末。。 ウシガエル ![]() 非日常のひと時を味わって参りました。 ![]() テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体 |
この記事のコメント『その無とは存在の否定ではなく、
存在しているが、現れていない状態をいう。 となると「ある」と「ない」は別のものではなく、同じもの。。 そう、有無は一如である。』 ↑ このコトバ しびれちゃいます。 不立文字の禅の世界。 『時が止まったような、不思議な時間の中で、 無い道具が有り、無い湯煙が有り、 無いお茶が愛でられ、無い音が有り、』 ↑ まさに、ですね。
2009-06-07 Sun 20:26 | URL | ヒコ #-[ 編集]
ヒコ様、ありがとうございます。
はい、まさに、です。 過去も未来もなく、ただ一瞬一瞬の今ココに 身も心も置いた師の精神力と呼吸力に感動しました。 Yogaも同じくして… 道に至る鍵は、まさに、呼吸力なのでしょう。
2009-06-08 Mon 12:29 | URL | ディオティマ #-[ 編集]
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2009-06-09 Tue 12:32 | | #[ 編集]
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